自分らしい生き方を見つけるブログ 〜引き寄せの本質を知る

こんにちは!3月まで教員をしていました。とにかく頑張ることだけで乗り切ってきた20〜30代を振り返り、軽やかに生きること目指すブログです。12年もの間迷ってきた「引き寄せの法則」を使って自分が望む幸せを見つけにいきましょう。

「幸せ」の正体

こんにちは。
 
 
自己肯定感シリーズ第3弾
 
今日は、少し違った視点から。
あなたにとって幸せとは何ですか?
 
お金がたくさんあること?
家族が仲が良いこと?
恋人がいること?
広い家に住んでいること?
美味しいものがいつでも食べられること?
いい車に乗っていること?(昭和っぽい)
仕事が終わってお風呂に入っている時?
やりがいのある仕事があること?
毎年海外旅行に行けること?
素敵な仲間に囲まれていること?
好きな趣味を思い切り楽しめること?
子供がよい大学に入学すること?
毎日が充実していること?
 
 
いろいろありそうですよね。
まあ、幸せというよりは、ここに挙げたものは、
 
「願望」
 
に近いですかね。
 
 
私たちは、自分の希望や願望が叶うと
 
「幸せ」
 
を感じます。
 
また、おいしいものを食べている時やお風呂に入っている時、希望の状態を手に入れた時に
 
「幸せ」
 
を感じるでしょう。
 
 
 
 
よく、幸せの定義、なんて言葉がありますが、正確には、定義なんてできませんよね。
 
願望や希望や人によって違います。
 
美味しいものをたべているときに幸せを感じる人もいれば、別に食べ物に頓着しないという人もいるでしょう。
 
上に挙げたものでいくと、昔(ほんと昔・・・)は、カッコいい車に乗るためにバイトしていたような男子もいたと思いますが、今は、車の形はこだわりではなくなりましたよね。
家族をもつと、みんなアル◯ードかよ、みたいな。
 
お金なんてその最たるもので、欲しい金額は、幸せを感じる金額は、人によってマチマチです。
 
 
 
でも、なぜか・・・。
 
人は、幸せを比べたがります。
 
友達より、
同期より、
お隣のうちより、
かつての恋人より、
 
人と比べて、自分の幸せ度を図ろうとします。
 
 
幸せの基準も内容も全然、違うのに。
 
 
これって、ある筍の長さを、メモリのバラバラな物差しを使って測っているようなもの。
 
もっているものさし(基準)が違えば、結果は同じになるわけがありません。
 
 
 
比べるものではないんですよ。
「幸せ」って
 
 
「自己肯定感」も一緒です。
 
 
同じ人間がいないのと同じように、
 
人によって、「幸せ」も違えば、
「自己肯定感」を感じるポイントも違います。
 
 
そろそろ、そのもっている基準を手放した方がいいのではないでしょうか?
 
そして、その基準は低くていいんです。
 
「低く」っていうともうすでにランクづけみたいになってしまうので、よい表現ではないですが、そもそも前提が違っているのではないでしょうか?
 
人間が究極に幸せを感じること
 
 
それは、
 
 
「生きている」
 
 
ことです。
 
 
今日も生きてて、幸せ。
朝、目が覚めて今日も生きていることを確認できた。
 
 
これは、幸せなことです。
 
 
死んでしまった人には来なかった「朝」があなたには来たんです。
 
幸せに条件をつければつけるほど、自分を苦しめるだけです。
 
「自己肯定感」も一緒です。
 
 
今、生きている自分をOKすることができたら、それでいいんですよ。
 
 
そうしたら、何かひとつでも行動した私は、凄いことをしたことになりませんか?
 
だって、生きているだけで凄いのに、今日、新しいことをしちゃったんですよ!!
 
あなたは今日は、生きている以外に何をしましたか?
 
仕事をした。
 
 
 
凄いじゃないですか、あなたの仕事で誰かの生活を豊かにしたかもしれないんですよ!
 
 
 
 
料理をした
 
素晴らしい!!あなたが作ったものが、家族がさらに明日生きるための栄養となるんですよ。
 
 
 
掃除をした。
 
 
 
綺麗な環境で、過ごすことは、人間の長年の夢でした。ライフプロデュースですよ。
 
 
 
誰かの話を聞いた。
 
 
 
あなたが、その人の話を聞いたことで、きっとその人の心に安らぎをもたらしたことでしょう。カウンセリングだ!!
 
 
 
もう、書き足りないくらい、色々な前向きな行動ですよね。
 
 
 
 
幸せは、本当に身近にあり、尊いもの。
 
 
今日、生きていることに、幸せを感じてみませんか?
 
 
今日も読んでいただきありがとうございました。
あなたの人生を応援しています。
 

ダメな自分を愛すること  自己肯定感②

こんにちは。スピリチュアルコーチのKOMAKIです。

 

自己肯定感について記事第2弾

 

第1弾はこちら

自己肯定感とは

 

自己肯定感とは、

「ありのままの自分を認めること」

 

このありのままというのが曲者。

 

ありのままというのは、言い換えれば

 

どんな自分も

 

となる。

 

 

このどんな自分にはいろいろな自分が隠されているだろう。

 

 

明るい私。

おっちょこちょいな私。

引っ込み思案な私。

飽きっぽい私。

短気な私。

自分勝手な私。

諦めがちな私。

自信満々な私。

運動が苦手な私。

片付けが苦手な私。

八方美人な私。

言い方がきつい私。

天邪鬼な私。

天パな私。

太っている私。

恋人のいない私。

友達のいない私。

 

 

エンドレスだね。

 

とにかく、いろいろな「私」がいます。

 

その、どの部分も全て「私」の構成要素です。

そのすべてを受け入れること、愛することができれば、

 

どんな自分でも認めることができます。

 

 

例えば、年収が1000万の私も、無職の私も愛せるか。

結婚している私でもも、一生独身の私で愛せるか。

太っている私でも、痩せている私でも愛せるか。

中卒の私でも、院卒の私でも愛せるか。

歌が上手くても、下手でも愛せるか。

足が速くても、遅くても愛せるか。

病気を患っている私でも、健康な私でも愛せるか。

 

 

どんな自分でも愛することができれば、きっと人生に対して悲観することなんてないですよね。

 

そして、そんな自分を愛せるのであれば、どんな他人でも愛せるということですよね。

 

この、自分に対してダメだと思うところって、必ず何かとの比較で生まれるんですよね。

 

それは、他人だったり、自分なりの価値観や基準だったりします。

 

例えば、

大学へは行った方がいい。

体重は、○○㎏以下がいい。

〇歳までは結婚した方がいい。

 

性格だって、

 

怒りっぽってどこからが怒りっぽいの?

 

怒って0.1秒で怒鳴ったら?

じゃあ、5秒だったらセーフ?

 

飽きっぽいってどのくらい?

 

やり始めたことの50%以下の達成率だと飽きっぽい?

じゃあ、51%だから飽きっぽくない?

 

片付けは?

 

部屋の面積の3割がもので埋まっていると、片付け下手認定?

 

 

そんなの全部主観じゃん。

 

誰かと比べて、

 

自分の基準と比べて、

 

自分にレッテルを張ってるだけです。

 

特に、自分のダメなところを

 

「これでいいのだ」

 

って思えれば、自然と自己肯定感は上がってくると思う。

 

 

そして、できなことは人に頼む。

その代わり、できる部分は、人より頑張る。

 

 

凸凹があるから人間なんだから、

その凸凹を楽しむくらいの余裕があったもいいでしょ。

自分の凸凹はきっと、他の人にはないんだから。

 

ダメな部分も、欠点といわれる部分も、

 

「いいじゃん!!」

 

って愛してあげてください。

 

 

 

 

では、さっそく。

 

自分の長所(好きなところ)と短所(嫌い・ダメだと思うところ)を書き出してみましょう。

そして、そのうちの短所を一つを

 

「まあ。いいか!!」

 

って言ってください。

 

私なら

「飽きっぽいけど、まあ、いいか!!!

 

「結構飽きっぽいけど、まあ、いいか!!!

 

「本とか全部読む前に飽きちゃうけど、まあ、いいか!!!

 

「仕事も結構飽きちゃうけど、まあ、いいか!!!

 

「ダイエットも全然続かないけど、まあ、いいか!!!

 

 

えっ!?

本当にいいのか?

 

 

 

いいんです!!

 

ほら、少し、気が楽になってきたでしょ?

こんなのでも、生きていてブログ書いて、きゃははって笑って生きています。

 

本当は、ダメな部分なんてないんです。

全ては、あなたの特徴。

「ダメだ」と思い込んでいる部分をそっとやさしく抱きしめてあげてください。

 

 

これを少しずつやっていくと、気持ちが軽くなっていくのがわかります。

もしよかったらやってみてください。

 

 

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

あなたの人生を応援しています。

 

 

 

自己肯定感について①

こんにちは。スピリチュアルコーチのKOMAKIです。

 

 

最近、よく考えるのが、

 

「自己肯定感」

 

 

ということ。

 

これは、いろいろな言葉の解釈があって、難しい。

 

 

私は、「どんな自分でも認められるということ」

 

だと思っている。

 

 

これは、ある人から聞いたのだが、

 

BE:存在

DO:行動

HAVE:所有

 

の掛け算だということ。

 

私たちは、自分良く見せるために、DOやHAVEに目が行く。

 

どれだけのことをしたか。

何ができたか。

何をしてきたか。

 

就職面接でも、何ができるかとか何をしてきたかとか経験や実績、結果を聞かれる。

 

 

そして、

 

何をもっているか。

学歴は?

年収は?

職業は?

貯金は?

恋人は?

家族は?

子供は?

家は?

服やバック、装飾品は・・・?

 

 

何をどれだけもっているかがまるで自分の価値のように感じることがある。

 

 

 

でも、そんなものは、時の運もある。

生まれてきた時からの環境もある。

 

生まれてきた国が違えば、全く状況は変わる。

価値観も変わる。

 

 

どんなに、いろいろなことをやって、どんなものをもっていても、自分で自分を認めてあげられなければ、そんなものは砂の城を一緒だ。

 

 

BE×DO×HAVE

 

これが仮に、

 

0.5×6×7=21

 

ある人は

 

5×6×7=210

 

同じような経験をしていて、同じようなスペックをもっていても、

自分の存在を肯定している人としていない人では、こうも『自己肯定値』がが変わってしまう。

 

自分を全く認められなくて、『0』とかだと、けっきょく『0』だ。

どんなにいいことをしようが、努力してもてるものを増やそうが全く満たされないということだ。

 

満たされないということは、幸せも感じないし、

これでいいとも思えないし、

いつまでも、青い鳥を探し続けることになる。

 

 

で、

 

 

このBEを上げていくことは、とても難しい、

なぜなら、私たちは何かをすることで褒められたり、何かを得ることで満たされたりという経験はたくさんしているが、何もしなくても認められた経験が少ないからだ。

 

しいていうなら、赤ちゃんの時くらいだろうか?

 

それも、人によっては必ずしもそうだったとは言い切れない。

 

赤ちゃんに、

 

「自分のことはじぶんでしろ」

 

とか

「自分の食べる分くらい稼いで来い」

 

という人はあまりいないだろう。

 

 

でも、だんだん大きくなるにつれて、

できることが当たり前になり、それを認められなくなってくる。

 

 

でも、よく考えたら、それぞれこれを見ている人が何歳かわからないが、少なくともスマホやパソコンを自分で操作し、文字を見て内容を理解する(私の話が分かりやすいかどうかはこの際突っ込まないでほしい。)ことができるくらいまでのねんれいではあるということだ。

 

そう考えると、その歳まで生きてきたことは実はすごいことだ。

 

何かをしてきたことではなくて、ただ「生きてこれたこと」はすごいし奇跡だ。

 

不慮の事故や災害で亡くなる人もいる。

病を患い亡くなる人もいる。

死の誘惑に誘われた人もいる。

 

そういうことを回避してここまで生きてこれたことはとても素晴らしいことだと思う。

 

 

そうやって、少しずつ自分そのものの価値を認めていけたらいいと思うのだ。

 

今日は、自己肯定感についての定義の話。

 

明日は、具体的に自己肯定値を上げていくことについて考えてみよう。

 

しばらく自己肯定感縛りで行ってみようか?

 

 

今日もよんでいただきありがとうございました。

あなたの人生がを応援しています。

 

 

 

夫婦は鏡とはよくいったものだ

こんにちは。スピリチュアルコーチのKOMAKIです。

 

今日は、夫婦のこと。

 

 

よく、「夫婦はあなたの鏡です。」

 

なんて言葉を聞く。

 

これを聞いて、

 

「わかるわかる!!」

 

という人もいるだろうが、

大概の人は、

 

「ひーーーーー、やめてーーーー。」

 

と、悲鳴を上げる人もいるかもしれない。

 

ちなみに、この『夫婦』の部分は、

 

『恋人』でも

『親』でも

『友達』でも

 

いい。

 

特に親しい、もしくは近しい、間柄であれば当てはまる。

 

 

最近、私はぷーたろうをやっているせいで、たまにイライラしていることがある。

 

自分のせいだし、

何かにおびえているサインなので、今は自分でもそっとしとこって思っている。

 

とにかく、崖っぷち好きだから、まだ追い詰められていないのだろう。(船越英一郎に)

 

そうすると、なぜか夫の粗を探してはよく指摘している。

 

自分で自分を責めることもあるが、それだとつらいから夫を責める。

 

 

私はこの半年、1年も稼いでいないのに、収入の少ない夫を責めたり、

やり方が悪いと責めたり、要領が悪いと責めたり、覚悟が生ぬるいと責めたりする。

 

ひどい嫁さんだ。

 

でも、この言葉の一つ一つは紛れもなく、自分に投げかけている。

 

100%間違いない。

 

 

これは、私が私に言っている言葉だ。

 

 

親しい人の粗が見えたらそれは100%自分の欠点(だと自分が思っているところ)だ。

 

 

こんなこともあった。

 

 

先日、夫が勝手にテレビにつなぐ端子を買ってきた。

 

なんか、AmazonとかamebaTVとかYouTubeとかが見られるようになるらしい。

 

何も相談もなく買ってきて、勝手に取り付けて、しかも登録は私というわけのわからない状態で楽しそうにしている夫を見て無性に腹が立った。

 

でも、ここで私が考えたんです。

何に腹を立てているのかなって。

 

 

私に黙ってこれを買ってきたことか。

私の断りなしに作業をしていることか。

都合よく、私のIDを使われたことか。

 

・・・・・。

 

 

 

そうやって掘り下げてみると、

私は夫がやっていることに対して、何をしてもいいという承認はしていないということ。何かするなら私の許可を取れということを思っている。

それはつまり、

 

「夫を自分よりも下に見ている」

 

ということがわかる。

 

それは、収入面でそういう風にさせているのか、

はたまた、そういう位置づけにするために、夫の収入が増えないようにしているのか、わからないが、私は夫を通して、

 

『優越感』

 

を味わいたいと思っているということがわかるんだ。

 

 

結構わかると自分ってエグイ人間だなって思います。

嫌な奴ともいえますね。

 

こんなふうに、身近にいる人から自分の考え方や思い込み、観念なんかが読み取れたりする。

 

決して楽しいものではないが、認識できれば手放すことができる。

 

私の場合だと、自分が優位に立ちたいと思うのは、何か不安があるからだ。自分に自信が持てないところがあるから、夫との関係性の中では優位に立とうと思う。

なら、私が抱える不安にスポットを当ててあげれば、そういう人間関係を築かなくても大丈夫になるわけだ。

 

また、今の私の不安の多くは、仕事や収入への不安だろうから、それを解消するために一つ一つできることをやってみることで自信につながるかもしれない。

 

 

こうやって自分を見つめるきっかけをくれる夫には感謝でいっぱいだー(棒読み)

 

 

自分の知るには、『鏡』がないとわからないからね。

 

 

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

あなたの人生を応援しています。

 

 

 

 

崖っぷちが大好き

こんにちは。スピリチュアルコーチのKOMAKIです。
 
 
自分では、かなり平凡な人生を送ってきたと思うのですが、人に話すとびっくりされたり、笑われたりします。
 
最近思うのですが、一言で言うと、
 
「刺激が好き」
 
 
というタイプ。
 
とにかく、刺激を求めて生きています。
見た目は至って普通だし、刺激って顔していないんですけどね。
 
 
この人生を始めるときに、何か目的を持ってやってくると、私のお師匠様たちは教えてくれました。
私はなんだろうと考えると、
 
とにかく、退屈は嫌!!
 
 
ということでしょう。
 
 
しかも、それはこの世界での「退屈」とはちょっと意味が違っていて、
とにかく、
 
「崖っぷちに萌える」
 
という、特殊志向の持ち主です。
 
今の私の崖っぷち感は、
 
3月に仕事を辞めて、半年無職
夫は自営業だが、生活費は家賃も払えない程度
今までコツコツ貯めてきた貯金を湯水のごとく使う毎日
起業なんて大それたことを言ってはみたものの、この半年でやったことは名刺を作るくらい。
 
 
かなりキテますよね。
funkyですよね。
 
先日、前の職場の方にお会いしたときに、
 
「今何しているんですか?」
 
って聞かれたので、
 
「引きこもってます。」
 
 
って言ったら、みんないたたまれない顔で私を見ていました。
 
 
不思議なことに、あまり嫌ではなかったんですけどね。
 
 
今の私の中には、
 
もうどうにでもなっちゃえよ!!
 
という投げやりな気持ちと
 
 
きっと、なんとかなるよ、私だし。
 
 
という、絶対的な自分への信頼とがあります。
 
 
どうせ、いつかはやるんでしょ?
どうせ、いつかは本気出して今までのマイナスチャラにしちゃうんでしょ?
 
なんの根拠もありません。
ただ、40年生きてきた自分の実績でしょうか?
 
でも、
 
どうせなら、もっと面白くしちゃえよ、っていう変な冒険心が顔を覗かせています。
ギリギリを演出するプロですからね。
 
人生を棒に振るかもしれない今の状況でも、
 
結局最後は、なんとかなる。
 
 
私はこういう人生を送ることを目的として、この世に来たのだと思うと、
もう少し自分に付き合うかという気持ちになります。
 
 
スピリチュアルコーチなんて名乗っていますが、
 
別に、オーラは見えないしい、
ハイヤーセルフとも話せないし、
幽体離脱もしたことないし、
あの世の仕組みもよくわかりません。
 
 
ただ、私にわかるのは、
 
この人生が、意味があって意味がないということ。
 
 
私にとっては、何か体験したいことがあって、この体、このスペックで生まれてきた。
 
でも、この人生が終わったときに、別に大きな意味があるわけではないということです。
 
おそらく、ノーベル賞はとらないだろうし、
何か凄いものを開発する能力はない。
強いてい言うなら、学校を作りたいけど、
そもそも、ワクワクして生きることができたら、何か残せなくてもいいかな。
 
 
私たちは、絶対死にます。
 
いつかは必ず死にます。
 
この肉体は、いずれ手放さなければなりません。
 
魂がどうなるか、今の私にはわかりません。
 
 
でも、この肉体でいるうちにできることは、きっと限られているから、
思ったことをやらないと損かもしれないですよね。
 
 
ただ、崖っぷちって結構心身を消耗するんですよ。
自己嫌悪も結構するので、そろそろ辞めて次に進みたいかな。
 
 
私の引きこもりにも、そろそろ終わりが見えてきたかな。
 
 
今日も読んでいただきありがとうございました。
あなたの人生を応援しています。
 
 
 
 
 

質問力

こんにちは。スピリチュアルコーチのKOMAKIです。

 

 

ご無沙汰しております。

 

 

 

 

今日は、「質問力」について。

 

 

先日まで、チームコーチングを受けていたんですが、そのコーチが

「質問力を磨きましょう。私に質問するときは、意識してどうでもいい質問をしないようにしましょう」

 

と言っていました。

 

お前、何様だよ!!!!!

 

 

と私はひそかに思っていましたが、

 

質問って結構大事です。

 

 

もちろん、人に何を聞くかってのも大事ですが、

一番大事なのは、

 

 

「自分に何を質問するか?」

 

 

ってことだと思います。

 

私たちは、人と話している時間よりも多くの時間を自分と話しています。

あまり意識していないかもしれません。

意識していると、ただの独り言で声に出ちゃったりして、かなり恥ずかしいですよね。

 

 

その時に、自分に対して質問していることがかなりあると思います。

 

 

例えば、

 

 

「今日は何を食べようか?」

 

 

お昼、ぶらっ出てきたとき、お店を目の前にしてきっと自分に投げかけます。

 

 

昨日は、そばだったし、

今日はカレーって気分じゃないし、

そういえば、今日の晩御飯は魚っていってたような・・・

 

 

なんて、脳内会議が始まり、

 

では、パスタ!

 

みたいに決まりますよね。

 

 

この質問、

いろいろアレンジができます。

 

 

「今食べたいのは、カレーとパスタのどっち?」

「一番、カロリーが低い食べ物はどれ?」

「今まで、行ったことない店はどこ?」

 

 

昼に食べるものだけでも、質問を変えるだけで、選択肢は変わります。

今までなかった選択肢が飛び出してくることもあります。

 

 

 

これが、毎日繰り広げられていたら。

 

 

私たちの生き方を変えるなん簡単だと思いませんか?

 

 

 

「私は何がしたいの?」

 

 

と考えると、色々出てきますが、同時に

 

「別に今じゃなくてもいい。」

とか

「それほどではないかもしれない。」

とか

「〇〇に比べるとそれほどでも・・・。」

 

 

というように、たくさん出てくるんだな。これが。

 

 

 

 

でも、

 

 

 

「何がやりたくない?」

 

 

って質問したら、

結構はっきり出てきませんか?

 

 

「人に気を遣うのはいや。」

「満員電車にずっと乗るのはいや。」

「同じ作業の繰り返しはいや。」

「いつもお金を気にして生きていくのはいや。」

 

 

 

はっきり、わかっているものの方が、動きやすいですよね。

 

 

 

強烈に、絶対やりたいものが明確な人はいいんです。

それをその気持ちのまま、やってしまってください、

いつまでできるかわかりません。

 

あした死んじゃうかもしれないので。

 

でも、もし、今やりたいことがあいまいでよくわからないという人は、

 

「絶対やりたくないこと、できればやりたくないこと」

 

を探してそれをやめていくことをしてみると、

 

 

少し自分の人生が軽くなるかもしれません。

 

 

 

今日は、自分に何を質問しましたか?

その質問は、自分の生き方を軽くしてくれるものですか?

 

 

今日も読んでいただきありがとうございます。

あなたの人生を応援しています。

 

願いの先にあるもの

こんにちは。スピリチュアルコーチのKOMAKIです。
 
 
あなたは、どんな願いがありますか?
 
恋人が欲しい
お金が欲しい
夢を叶えたい
友達と仲良くしたい
旅行に行きたい
温泉に行きたい
おいしいお酒が飲みたい
モテたい
ちやほやされたい
 
 
だんだん、自分の欲望になってしまいました。
 
 
まあ、ともかく欲しいものや叶えたいものがたくさんあります。
でも、実際私は手に入れたものもあります。
 
例えば夢。
 
私は、小学校の頃から教員になりたいという夢がありました。
でも、大学で教員課程を専攻しなかったので免許を取らずに卒業しています。
 
それでも、数年に一度の周期でなんとなく思い出して、大学卒業から10年経って教員になりました。
 
他には、結婚
 
いつの頃からか、どうしても結婚したくて、でも私は結婚なんてできないのではとおもったりしていましたが、思いがけないところから結婚相手を見つけました。
 
 
 
でも、私は今、教員を辞めました。
結婚についても、する前の情熱は今はありません。
もうすでに、老夫婦のようなまったり感が否めません。
 
結局、欲しいものや叶えたいものなんてそんなもんなんです。
 
例えば、お金が欲しいという願望。
 
私は、小さい頃からお金がないという環境が当たり前だったので、どうしても手に入れたかったし、大学入ってからはがむしゃらにバイトして、貯めて、社会人いなってからも「趣味:貯金」みたいな感じだったので、現在、働いていませんが、なんとか生活できています。
 
でも、いくら貯めたら満足できるかわからなくなってしまったんです。
 
5000万?
 
1億?
 
10億?
 
人によっては、1000万あったら、安心って想う人だっているはずです。
100億あっても、不安な人もいるはずです。
 
つまり、私たちは、目の前にあるものを欲していますが、実は、そのものを欲しがっているわけではないんです。
 
その先にある「感情」を求めているんです。
 
私の場合は、どの願望も全て「承認欲求」でした。
 
教員を目指したのも、結婚したのも、周りからの羨望が欲しかったからです。
ここから、私の潜在的な願望の一つに、
 
「存在の肯定」
 
があったのです。
 
 
私が、いつも自分が人から肯定されていないと考えていたのです。
思い込みです。
 
それを手に入れるために、さまざまなことを欲しがり、それを手に入れる過程の中で、自己の存在を肯定して欲しい、という願望を叶えようとしていました。
 
 
自分が願っているものをリストアップしてみましょう。
そうすると、なぜそれを望んでいるのか?本当に望んでいるものは何か?が見えてくるかもしれません。
 
 
見つかったら儲けもの。
 
あとは、それを叶えていきましょう。
私の場合は、「存在の肯定」ですから、自分がそこにいるということ、生きているということをひたすら肯定してきました。
「自分」がです。
 
私が私を肯定していないから、そういう願望を抱くことに気が付いたので、とことんダメな自分も肯定していくことにしました。
 
 
あなたの願いは何ですか?
そして、その先にあるもっと望んでいるものは何ですか?
 
 
読んでいただきありがとうございました。
あなたの人生を応援しています。