「幸せ」の正体
ダメな自分を愛すること 自己肯定感②
こんにちは。スピリチュアルコーチのKOMAKIです。
自己肯定感について記事第2弾
第1弾はこちら
自己肯定感とは、
「ありのままの自分を認めること」
このありのままというのが曲者。
ありのままというのは、言い換えれば
どんな自分も
となる。
このどんな自分にはいろいろな自分が隠されているだろう。
明るい私。
おっちょこちょいな私。
引っ込み思案な私。
飽きっぽい私。
短気な私。
自分勝手な私。
諦めがちな私。
自信満々な私。
運動が苦手な私。
片付けが苦手な私。
八方美人な私。
言い方がきつい私。
天邪鬼な私。
天パな私。
太っている私。
恋人のいない私。
友達のいない私。
エンドレスだね。
とにかく、いろいろな「私」がいます。
その、どの部分も全て「私」の構成要素です。
そのすべてを受け入れること、愛することができれば、
どんな自分でも認めることができます。
例えば、年収が1000万の私も、無職の私も愛せるか。
結婚している私でもも、一生独身の私で愛せるか。
太っている私でも、痩せている私でも愛せるか。
中卒の私でも、院卒の私でも愛せるか。
歌が上手くても、下手でも愛せるか。
足が速くても、遅くても愛せるか。
病気を患っている私でも、健康な私でも愛せるか。
どんな自分でも愛することができれば、きっと人生に対して悲観することなんてないですよね。
そして、そんな自分を愛せるのであれば、どんな他人でも愛せるということですよね。
この、自分に対してダメだと思うところって、必ず何かとの比較で生まれるんですよね。
それは、他人だったり、自分なりの価値観や基準だったりします。
例えば、
大学へは行った方がいい。
体重は、○○㎏以下がいい。
〇歳までは結婚した方がいい。
性格だって、
怒りっぽってどこからが怒りっぽいの?
怒って0.1秒で怒鳴ったら?
じゃあ、5秒だったらセーフ?
飽きっぽいってどのくらい?
やり始めたことの50%以下の達成率だと飽きっぽい?
じゃあ、51%だから飽きっぽくない?
片付けは?
部屋の面積の3割がもので埋まっていると、片付け下手認定?
そんなの全部主観じゃん。
誰かと比べて、
自分の基準と比べて、
自分にレッテルを張ってるだけです。
特に、自分のダメなところを
「これでいいのだ」
って思えれば、自然と自己肯定感は上がってくると思う。
そして、できなことは人に頼む。
その代わり、できる部分は、人より頑張る。
凸凹があるから人間なんだから、
その凸凹を楽しむくらいの余裕があったもいいでしょ。
自分の凸凹はきっと、他の人にはないんだから。
ダメな部分も、欠点といわれる部分も、
「いいじゃん!!」
って愛してあげてください。
では、さっそく。
自分の長所(好きなところ)と短所(嫌い・ダメだと思うところ)を書き出してみましょう。
そして、そのうちの短所を一つを
「まあ。いいか!!」
って言ってください。
私なら
「飽きっぽいけど、まあ、いいか!!!」
「結構飽きっぽいけど、まあ、いいか!!!」
「本とか全部読む前に飽きちゃうけど、まあ、いいか!!!」
「仕事も結構飽きちゃうけど、まあ、いいか!!!」
「ダイエットも全然続かないけど、まあ、いいか!!!」
えっ!?
本当にいいのか?
いいんです!!
ほら、少し、気が楽になってきたでしょ?
こんなのでも、生きていてブログ書いて、きゃははって笑って生きています。
本当は、ダメな部分なんてないんです。
全ては、あなたの特徴。
「ダメだ」と思い込んでいる部分をそっとやさしく抱きしめてあげてください。
これを少しずつやっていくと、気持ちが軽くなっていくのがわかります。
もしよかったらやってみてください。
今日も読んでいただきありがとうございました。
あなたの人生を応援しています。
自己肯定感について①
こんにちは。スピリチュアルコーチのKOMAKIです。
最近、よく考えるのが、
「自己肯定感」
ということ。
これは、いろいろな言葉の解釈があって、難しい。
私は、「どんな自分でも認められるということ」
だと思っている。
これは、ある人から聞いたのだが、
BE:存在
DO:行動
HAVE:所有
の掛け算だということ。
私たちは、自分良く見せるために、DOやHAVEに目が行く。
どれだけのことをしたか。
何ができたか。
何をしてきたか。
就職面接でも、何ができるかとか何をしてきたかとか経験や実績、結果を聞かれる。
そして、
何をもっているか。
学歴は?
年収は?
職業は?
貯金は?
恋人は?
家族は?
子供は?
家は?
服やバック、装飾品は・・・?
何をどれだけもっているかがまるで自分の価値のように感じることがある。
でも、そんなものは、時の運もある。
生まれてきた時からの環境もある。
生まれてきた国が違えば、全く状況は変わる。
価値観も変わる。
どんなに、いろいろなことをやって、どんなものをもっていても、自分で自分を認めてあげられなければ、そんなものは砂の城を一緒だ。
BE×DO×HAVE
これが仮に、
0.5×6×7=21
ある人は
5×6×7=210
同じような経験をしていて、同じようなスペックをもっていても、
自分の存在を肯定している人としていない人では、こうも『自己肯定値』がが変わってしまう。
自分を全く認められなくて、『0』とかだと、けっきょく『0』だ。
どんなにいいことをしようが、努力してもてるものを増やそうが全く満たされないということだ。
満たされないということは、幸せも感じないし、
これでいいとも思えないし、
いつまでも、青い鳥を探し続けることになる。
で、
このBEを上げていくことは、とても難しい、
なぜなら、私たちは何かをすることで褒められたり、何かを得ることで満たされたりという経験はたくさんしているが、何もしなくても認められた経験が少ないからだ。
しいていうなら、赤ちゃんの時くらいだろうか?
それも、人によっては必ずしもそうだったとは言い切れない。
赤ちゃんに、
「自分のことはじぶんでしろ」
とか
「自分の食べる分くらい稼いで来い」
という人はあまりいないだろう。
でも、だんだん大きくなるにつれて、
できることが当たり前になり、それを認められなくなってくる。
でも、よく考えたら、それぞれこれを見ている人が何歳かわからないが、少なくともスマホやパソコンを自分で操作し、文字を見て内容を理解する(私の話が分かりやすいかどうかはこの際突っ込まないでほしい。)ことができるくらいまでのねんれいではあるということだ。
そう考えると、その歳まで生きてきたことは実はすごいことだ。
何かをしてきたことではなくて、ただ「生きてこれたこと」はすごいし奇跡だ。
不慮の事故や災害で亡くなる人もいる。
病を患い亡くなる人もいる。
死の誘惑に誘われた人もいる。
そういうことを回避してここまで生きてこれたことはとても素晴らしいことだと思う。
そうやって、少しずつ自分そのものの価値を認めていけたらいいと思うのだ。
今日は、自己肯定感についての定義の話。
明日は、具体的に自己肯定値を上げていくことについて考えてみよう。
しばらく自己肯定感縛りで行ってみようか?
今日もよんでいただきありがとうございました。
あなたの人生がを応援しています。
夫婦は鏡とはよくいったものだ
こんにちは。スピリチュアルコーチのKOMAKIです。
今日は、夫婦のこと。
よく、「夫婦はあなたの鏡です。」
なんて言葉を聞く。
これを聞いて、
「わかるわかる!!」
という人もいるだろうが、
大概の人は、
「ひーーーーー、やめてーーーー。」
と、悲鳴を上げる人もいるかもしれない。
ちなみに、この『夫婦』の部分は、
『恋人』でも
『親』でも
『友達』でも
いい。
特に親しい、もしくは近しい、間柄であれば当てはまる。
最近、私はぷーたろうをやっているせいで、たまにイライラしていることがある。
自分のせいだし、
何かにおびえているサインなので、今は自分でもそっとしとこって思っている。
とにかく、崖っぷち好きだから、まだ追い詰められていないのだろう。(船越英一郎に)
そうすると、なぜか夫の粗を探してはよく指摘している。
自分で自分を責めることもあるが、それだとつらいから夫を責める。
私はこの半年、1年も稼いでいないのに、収入の少ない夫を責めたり、
やり方が悪いと責めたり、要領が悪いと責めたり、覚悟が生ぬるいと責めたりする。
ひどい嫁さんだ。
でも、この言葉の一つ一つは紛れもなく、自分に投げかけている。
100%間違いない。
これは、私が私に言っている言葉だ。
親しい人の粗が見えたらそれは100%自分の欠点(だと自分が思っているところ)だ。
こんなこともあった。
先日、夫が勝手にテレビにつなぐ端子を買ってきた。
なんか、AmazonとかamebaTVとかYouTubeとかが見られるようになるらしい。
何も相談もなく買ってきて、勝手に取り付けて、しかも登録は私というわけのわからない状態で楽しそうにしている夫を見て無性に腹が立った。
でも、ここで私が考えたんです。
何に腹を立てているのかなって。
私に黙ってこれを買ってきたことか。
私の断りなしに作業をしていることか。
都合よく、私のIDを使われたことか。
・・・・・。
そうやって掘り下げてみると、
私は夫がやっていることに対して、何をしてもいいという承認はしていないということ。何かするなら私の許可を取れということを思っている。
それはつまり、
「夫を自分よりも下に見ている」
ということがわかる。
それは、収入面でそういう風にさせているのか、
はたまた、そういう位置づけにするために、夫の収入が増えないようにしているのか、わからないが、私は夫を通して、
『優越感』
を味わいたいと思っているということがわかるんだ。
結構わかると自分ってエグイ人間だなって思います。
嫌な奴ともいえますね。
こんなふうに、身近にいる人から自分の考え方や思い込み、観念なんかが読み取れたりする。
決して楽しいものではないが、認識できれば手放すことができる。
私の場合だと、自分が優位に立ちたいと思うのは、何か不安があるからだ。自分に自信が持てないところがあるから、夫との関係性の中では優位に立とうと思う。
なら、私が抱える不安にスポットを当ててあげれば、そういう人間関係を築かなくても大丈夫になるわけだ。
また、今の私の不安の多くは、仕事や収入への不安だろうから、それを解消するために一つ一つできることをやってみることで自信につながるかもしれない。
こうやって自分を見つめるきっかけをくれる夫には感謝でいっぱいだー(棒読み)
自分の知るには、『鏡』がないとわからないからね。
今日も読んでいただきありがとうございます。
あなたの人生を応援しています。
崖っぷちが大好き
質問力
こんにちは。スピリチュアルコーチのKOMAKIです。
ご無沙汰しております。
今日は、「質問力」について。
先日まで、チームコーチングを受けていたんですが、そのコーチが
「質問力を磨きましょう。私に質問するときは、意識してどうでもいい質問をしないようにしましょう」
と言っていました。
お前、何様だよ!!!!!
と私はひそかに思っていましたが、
質問って結構大事です。
もちろん、人に何を聞くかってのも大事ですが、
一番大事なのは、
「自分に何を質問するか?」
ってことだと思います。
私たちは、人と話している時間よりも多くの時間を自分と話しています。
あまり意識していないかもしれません。
意識していると、ただの独り言で声に出ちゃったりして、かなり恥ずかしいですよね。
その時に、自分に対して質問していることがかなりあると思います。
例えば、
「今日は何を食べようか?」
お昼、ぶらっ出てきたとき、お店を目の前にしてきっと自分に投げかけます。
昨日は、そばだったし、
今日はカレーって気分じゃないし、
そういえば、今日の晩御飯は魚っていってたような・・・
なんて、脳内会議が始まり、
では、パスタ!
みたいに決まりますよね。
この質問、
いろいろアレンジができます。
「今食べたいのは、カレーとパスタのどっち?」
「一番、カロリーが低い食べ物はどれ?」
「今まで、行ったことない店はどこ?」
昼に食べるものだけでも、質問を変えるだけで、選択肢は変わります。
今までなかった選択肢が飛び出してくることもあります。
これが、毎日繰り広げられていたら。
私たちの生き方を変えるなん簡単だと思いませんか?
「私は何がしたいの?」
と考えると、色々出てきますが、同時に
「別に今じゃなくてもいい。」
とか
「それほどではないかもしれない。」
とか
「〇〇に比べるとそれほどでも・・・。」
というように、たくさん出てくるんだな。これが。
でも、
「何がやりたくない?」
って質問したら、
結構はっきり出てきませんか?
「人に気を遣うのはいや。」
「満員電車にずっと乗るのはいや。」
「同じ作業の繰り返しはいや。」
「いつもお金を気にして生きていくのはいや。」
はっきり、わかっているものの方が、動きやすいですよね。
強烈に、絶対やりたいものが明確な人はいいんです。
それをその気持ちのまま、やってしまってください、
いつまでできるかわかりません。
あした死んじゃうかもしれないので。
でも、もし、今やりたいことがあいまいでよくわからないという人は、
「絶対やりたくないこと、できればやりたくないこと」
を探してそれをやめていくことをしてみると、
少し自分の人生が軽くなるかもしれません。
今日は、自分に何を質問しましたか?
その質問は、自分の生き方を軽くしてくれるものですか?
今日も読んでいただきありがとうございます。
あなたの人生を応援しています。